25 Nov 2011 : Diary





消えないものがある。

素直になるには勇気が必要だ。

答えはどこにあるのかわからないけど、進めと!と心が叫ぶ。

すべての終わりと、すべての始まり。









26 Oct 2011 : Diary





「運命」という言葉は、時に都合の良い言葉だったりもする。

納得するために。受け入れるために。


言葉の意味には「元から定められている巡り合わせ」とあるけど

自分で導き出し切り開ける「運命」があるとすれば

そこに嘘や誤摩化しは通用しないし、

後悔の念だけは残してはいけないのだろう。


それは定めの「運命」ではなくて

自らが活かすも殺すもどちらにもできる

「運命」と感じられる想いなのかもしれない。




24 Oct 2011 : Nature



仕事前に飯縄山へ。
戸隠〜高妻山。八ヶ岳。北アルプス。
遠く槍ヶ岳まで広がる景色。
長野に戻ってきた頃、気持ちを切り替えるためにこの山を登ったことを思い出す。


今シーズン3度目の唐松岳へ。
14人の大所帯。
山小屋はすでに閉まり冬支度。
ガス、そして雨の中、皆でゆっくりと前へ進む。


ひとり歩く。

みんなと歩く。

秋の山。




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飯縄山 1917m




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唐松岳 2696m /北アルプス
ルート/白馬八方〜




18 Oct 2011 : Diary





近くを想う。

遠くを想う。


あの日以降、「やる」を選んだ人もいれば

「やらない」を選んだ人もいるだろう。

日常の中での「力」の使い方を考える。

1つの「やらない」がもうひとつの「やる」に注がれる。

頑張れる。 

結局は「力」の使い方。


「特別なことをするわけでなく、丁寧に生きたいと思います」

東京の友人からのメール。

「丁寧に生きる」 

心奥にぐっとくる言葉。





12 Oct 2011 : Nature



再度、北アルプス後立山連峰の唐松岳へ。

今回は一日晴天。

力強い白馬三山の姿。

頂きにポツンと建つ山荘の姿は、どこの山でも心を掴む。

頂上へ到達しても、そこから山々へと続く道が広がる。

終わりはない。




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唐松岳 2696m /北アルプス
ルート/白馬八方〜




08 Oct 2011 : Nature



ひとり山小屋1泊で北アルプス・大天井岳まで。

燕岳は2度目。先へと続く尾根を歩いてみたかった。

そこから大天井岳まで表銀座を縦走。

槍ヶ岳へ向かって。

素晴らしい展望。

ひとり歩く。



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1日目 中房登山口〜燕岳 2763m 〜表銀座〜大天井岳 2922m・大天荘
2日目 復路




26 Sep 2011 : Nature





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唐松岳 2696m /北アルプス
ルート/白馬八方〜




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焼岳 2393m /北アルプス
ルート/新中の湯




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天狗岳(西天狗岳2646m〜東天狗2640m)/北八ヶ岳
ルート/唐沢鉱泉-西天狗岳-東天狗岳-黒百合ヒュッテ-唐沢鉱泉




山の旅。

興味のない人には「なんで山登るの?」とよく聞かれる。

特別これと言った理由はない・・・。

条件が良ければ綺麗な景色が見れるのは確かだが

ただ「綺麗な景色」という言葉だけでは伝わらないものがある。

山を歩くこと、山々の姿、そこにいる人達の表情、

「あの感覚」は言葉になりにくい。

物事、何でもやってみなければ得れない感覚や成果というものがあるけれど

「山」は経験した人にしかわからない「あの感覚」というのが確かにあるはずだ。

その虜となった人は、また必ず山へ向かう。

山は厳しく、そして優しい。




11 Sep 2011 :



9.11から10年

3.11から半年

共にあの日のことをよく憶えている。

どんなカタチであれ、失う命があれば、生まれてくる命が今ある

9.11から大きく変わった思考

3.11と仙台のボランティアに行ってから大きく変わった想いと生活

明日からの道標を定める


今日、北八ヶ岳の天狗岳へ登った

山はそこに今まで通り在るだけだ

山道は険しく苦しい

無心の中に大きな何かを感じる

ただただ、足を前に進めるだけ

いろんな人がいる

足を止めている時の表情は素晴らしい

山旅の中で自分を知る




24 Aug 2011 :








23 Jul 2011 : Nature



夏だね。



















23 Jun 2011 : Diary



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6月に入り梅雨の蒸し暑さ。

日も長くなり、夕焼け空が多く見られる。


震災から3ヶ月が過ぎた。

いろんなことを観たり聞いたり、考えたり、文字にしたりしてみたけれど

どこにもカタチにすることは出来なかったし、しなかった。

情報の中には、何が正確なもので正しいのか解りづらいのも多く、

心理的なことを含めて、目に見えないものの恐怖はあまりにも大きい。


25日から27日の2泊3日で仙台市へボランティアに行く。

やることは「泥かき」

具体的に自分が被災地との関わりを持つのであれば、

身体を使った、作業というカタチで現地の復興に小さな力になれればと考えていた。

気持ちはあっても都合上ボランティアに参加できない人達の分も、

父と母の想いも一緒に、一生懸命泥をかいてこようと思う。


何を見て、何を感じ、何を想うのか。




12 Jun 2011 : Candle





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6月4日 「kef da live」@ kef nagano

楽しい夜でした。




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17 May 2011 : Candle



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昨夏の「歌夏蝋〜kagerou〜」に続き2回目となるkef naganoでのライブイベント。


kef da live @ kef nagano  6/4(sat)

Open 20:30 Start 21:00  charge 500yen


<Live>
長野の北野と牧野+Nao
齊藤 創
SAKI  http://www.sollaripple.com

<Glass>
Kaoli SOMA  http://www.sollaripple.com

<Candle>
霖〜rin〜  http://junny.jp

<Sweets>
AI sweet


●shop imformation●
kef nagano
長野県長野市北石堂町1408
tel&fax 026-224-0110
営業時間 13:00〜20:00 (定休日なし)
http://kefnagano.com





11 Apr 2011 : Diary



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途切れない。

誤摩化せない。

終わらない。

終われない。

終わりはない。


混沌とした「心」。

みんなも同じだろうな。

でもね。元気です。




地震から1ヶ月が経つ。

緊急救済期・復旧期・復興期。

意識の継続が問われていると思う。

放射能問題。
自然と命は繋がっているのだと痛感する。

反原発デモが札幌や富山、昨日は高円寺で。


死者12915人。行方不明者14921人。
なんというか・・・この数字表記は感覚を麻痺させる。

毎日、冷静にまとめて情報を入手できる手段として新聞を読んでいる。
「亡くなった方々」の欄。
毎日、新たに氏名が判断された方の名前と年齢がひとりひとり書かれている。
数字表記ではわからない、確かに存在していた人を感じる。
1ヶ月たっても、なくならない欄。
行方不明者はその数よりも多いという現状。
命の重さの感じ方。


被害はこんなところにも。

「東日本大震災の被害は、国宝や特別名勝にも及んでいる。
 被害が確認されたのは、国宝4件・重要文化財127件・特別名勝4件・特別史跡5件など。
 多くは建物壁の崩壊や彫刻物の破損など地震による被害。
 同庁は文化財の散逸防止と保護のため文化財レスキュー事業に着手した」


震災後、自分の中にあり続けた言葉。
アントニオ猪木の言葉 「元気があれば何でもできる!」

その本人も被災地へ訪問している。
若者にビンタで闘魂を注入。
「元気があれば何でもできる!元気があれば復興も出来る!」とエールを送ったそう。

仕事のプールレッスンを始める時に子供達に「元気ですか〜」と聞くと
「うん。元気!」と答える子供達。
無邪気な笑顔に救われる。







31 Mar 2011 :





福島原発1〜4号機、廃炉へ。

「完全終結には50〜100年という時間の単位を覚悟」

「費用は1兆円上回る見方」


長野県内への避難699人。

原発の影響が大きい福島県からの避難者674人と98%を占める。

*31日信濃毎日新聞に「故郷思う 希望抱く 信州で」写真付きで避難者の言葉が載っています。




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6人の女の子がつくっている「6paper」(ロクペーパー)

“原発”のことを解り易く知ることが出来ると思います。

「何か出来ること」はと混沌とした現状、「賛同/批難」することことばかりではなく、

「学ぶ」も必要で、それからの動きがあるのかとも思います。

今まで詳しく知ることなく、動いていなかったひとりの大人としての個人的考えです。