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わたしの部屋からは海が見える。
湘南の海だ。
江ノ島も天気が良ければ富士山も一望出来る。
江ノ電の七里ヶ浜駅から少し歩いた高台の家に住んでいる。
この海には沢山の人達が遠方からやってきて、夏はもちろんのこと人で賑わっている。
四月も終わりに近づき穏やかな陽気になって、海にはサーファーが増え始めた。
今日も晴天で、夕焼けが綺麗に見えるだろう。
久々に彼からメールが送られてきた。
「今日いつものところで」
彼といっても、恋人でもなく特別に仲の良い友達でもない。
二ヶ月に一回のペースで送られてくるメール。
彼は、ここの海にやってくるときだけ連絡をしてくる。
いつも当日の昼頃にたった一行で、こちらの予定はおかまいなしだ。
そろそろ来るだろうなとは思っていたけど、相変わらず急だ。
わたしは、そのメールに返答はしない。
わたしと彼の間では、必要以上のコミュニケーションを必要としないのだ。
会えればそれで良しだし、会えなければそれもまた良し。
要求でも約束でもなく、「今日、海行くから」という報告といったところだろう。
彼とこの海で出会いってから、今日で7回目のメールだ。
わたしの日課は、夕方までのバイトを終わらせると家に真っすぐ帰り、
夕暮れ時に、愛犬の散歩をしに七里ヶ浜の海岸へ行くことだ。
彼はそのことを知っているから、いつも急で一方的なメールしか送ってこない。
もちろん、わたしにだってバイトと散歩以外の予定だってあるのだけど
今までメールが送られてくる時は、平日が多いのもあり、日課である愛犬の散歩をしに海へ行く。
「いつものところ」というのは、
七里ヶ浜駅から海に向かって、国道134号を渡った海岸沿いにあるファーストキッチン。
夕日を見ようと沢山の人が集まってくる場所だ。
わたしのようにご近所に住んでいる人で犬の散歩がてらという人もいれば、
遠方からわざわざ海と夕日を見に来る人達もいる。
ここからは、海と江ノ島も天気がよければ富士山も見える。
湘南らしい景色が一望できる絶好のポイント。
太陽は空を染めながら江ノ島あたりへと沈んで行く。
待ち合わせの時間指定はなく、太陽が沈み始めて空が夕焼けに染まる頃。
季節によって太陽が沈む時間は変わるけれど、時間にして日没の30分前くらいだ。
愛犬に引っ張られながら、いつものコースで浜辺を歩き、待ち合わせ場所のファーストキッチンへ。
私は国道134号を挟んですぐ目の前にある七里ガ浜高校に通っていたから、
放課後は友達とよくここでお喋りしていた。
店員は一年中アロハシャツを着ている。
愛犬を外のベンチを囲むガードにつないで店内を覗くと、彼はいつもの窓際の席に座って海を眺めてた。
「久しぶり」と声をかけると「おっす」と、いつもの返事。
わたしは、彼の「おっす」を聞くとドラゴンボールの孫悟空を思い出し笑いそうになる。
太陽が空を染め始め、外には夕日を眺める人達が増え始めた頃、
わたしと彼のいつもと変わらない時間が始まる。
彼と知り合ったのは、昨年の一月一日。
いつものように愛犬と浜辺を散歩していた時だった。
わたしは波打ち際の写真を撮るのが好きで、よくカメラを持ち歩いている。
その時も、わたしは靴を少し濡らしながら波打ち際の写真を撮っていた。
「何を撮ってるんですか?」と声をかけてきたのが彼だった。
「波打ち際を」とわたしが答えると、彼は「面白い視点ですね。でも難しそう」と言った。
わたしはいつもこの浜辺に来ているから解ることなのだが、
大体、服装を見れば地元の人かそうでないかは区別がつくものだ。
地元の人は、わたしのように犬の散歩をしているか、高校生、サーファーが多い。
遠方から来る人は、家族連れやカップルが多く、彼のように独りで来る人もいる。
「この子の名前は?」と愛犬の名前を聞かれたので「ゴン太です」と答えた。
「ゴン太」は柴犬で、名前は母が柴犬らしい名前と言って決めてしまったのだ。
彼は「じゃあゴンちゃんだな。中学校にゴンちゃんていう面白い男の子がいたんですよ」と
勝手なことを言いながらゴン太の顔を撫でていた。
この周辺を散歩している犬は大型犬か今時の小型犬が多いから、
柴犬を連れているわたしが珍しかったのだろうか。
「柴犬可愛いですよね。俺も犬を飼える時がきたら柴犬って決めてるんです」と言って
ゴン太に顔を近づけ嬉しそうに撫で続けた。
本当のところ、写真を撮っていたわたしに興味を持ったのではなく
愛犬「ゴン太」に触りたかったから声をかけてきたのではないだろうか思ってしまった。
彼は、たまにこの海に来るのだと言う。
稲村ケ崎駅で降りて、いつも同じ道を通って海に出る。
そして、浜辺を歩き七里ヶ浜のファーストキッチンで夕日を見て、
太陽が沈むと、もうひとつ先の鎌倉高校前駅まで浜辺を歩き電車に乗って帰るらしい。
夕暮れ時にそのふた駅分を歩くためだけに、ここまで片道2時間電車に乗ってわざわざ来るのだと言う。
5分ほど話をしただろうか、彼は名刺をわたしに差し出し
「また会えれば良いですね。ゴンちゃんバイバイ」と言って去っていった。
その名刺には名前とホームページか何かのアドレスとメールアドレスが
記されていて電話番号は記されていなかった。
その夜、名刺に記されているアドレスを検索してみると、彼のブログを見ることが出来た。
トップには今日の日付けで一枚の写真がアップされている。
江ノ島と海を背景に、波打ち際の写真を撮っている私とゴン太の後ろ姿だった。
犬の散歩をしていると、ゴン太がきっかけで話掛けられることは今までもあったけど
「何を撮ってるんですか?」と声をかけられたのは初めてで、
びっくりしたものの、彼に嫌な印象を持つことはなかった。
なぜなら、海や夕日を独りで見に来る人は、少し寂しげに見えたりするけれど
何らかの想いを抱えてここへとくるのだろうと解釈しているから。
失恋したのかな、仕事で疲れて癒されに来たのかな、思い悩んでることあるのかな、
単純に海が見たかったのかなとか勝手に想像している。
ここで育ったわたしにはよく解らない感覚だけど、愛犬とこの海を散歩している時、
独りで来ている人を見ると、何を想っているのだろうといつも思うのだ。
冬の寒い時期に独りナンパ目的で海に来る人なんてあまりいないだろうし。
鎌倉の鶴岡八幡宮の初詣のついででもなく、元旦にわざわざこの海に夕日を見るために来た彼は、
どんな想いを抱えていたのだろうと少し気になった。
次に彼と会ったのは、海ではなく新宿だった。
その後も、私は気ままに更新されるブログを見ていて、新宿に用事があった時に
「お時間ありましたら、会いませんか」とメールを送ったのだ。
わたしにとっては日常な場所でも、彼のようにあの海へとやってくる人が
どんな想いを持っているのか以前から興味があったから。
午後7時。都会の寒さはツンと尖った感じがしてあまり好きではない。
彼とは、たった5分くらいの往きすがりの立ち話をしたくらだったから、
何て思われているか少し不安になりながら、話しかけてきて名刺も渡してきたのも彼なんだから、
わたしは図々しくなんてない」と自分に言い聞かせていた。
すると、彼は「おっす」と言って、付き合いの長い友達と会うかのようにゆるい感じで現れた。
そして、「やっぱり、今日はゴンちゃん連れてきてないよな」と残念そうな表情を見せた。
少なからず緊張していた自分が馬鹿らしく思えてしまうほど軽い感じで、一気に気が抜けてしまった。
居酒屋に入りお酒を飲みながらお互いのこと、わたしが聞きたかったことなどいろいろな話をした。
わたし自身、少し人見知りするところがあるのだけど、彼には気疲れすることはなかった。
印象に残ったのは「自分のことを知ってもらうのも、相手のことを知るのも、
時間がかかるものだと思ってるから、無理はしない。時と場合にもよるけど、
自分のペースを守ることが仲良くなるための近道」という言葉。
ゆるい登場のしかたといい、彼のその考えと姿勢がわたしには合っていたのだと思う。
お店を出て、携帯番号とアドレスを交換し合うと、
彼は「じゃあ行くわ、ゴンちゃんによろしく」と言って人込みの中へと消えていった。
その後は、彼から連絡もなく、私もブログを覗くくらいで連絡をすることはなかった。
新宿で会ってから一月ほど経った頃、彼からメールが送られてきた。
「今日、海に行きます。七里ヶ浜のファーストキッチンに夕暮れ時にいるので、予定が空いていれば」
急だなと思ったものの、予定もなかったのでいつものようにゴン太をつれて散歩がてら彼に会いに行った。
それからというもの、夏以外の時期の二ヶ月に一度、当日にメールが送られてきて
30分ほど夕日を一緒に見るという不思議な関係が始まった。
回数を重ねるごとに、彼から送られてくるメールは「今日いつものところで」と省略され、
初めは一方的で勝手だなと思ったものの、
今では「シンプルでなんかいいじゃん」なんて思えたりしている。
今日も彼はいつものようにコーラを飲みながら海を眺めている。
ここで会う時は、あまり話をしない。
というより、たくさん話をしたのは新宿で会った時くらいだ。
会って5分くらいは、「最近どう」という軽い会話をするけれど
気が付くと、二人黙って海と夕焼けを眺めている。
気温も暖かくなってきて、サーファーの数が増えてきた。
今日は空も澄んでいて、富士山も綺麗に見ることが出来る。
外には人が増え始め、ゴン太は他の犬と戯れ合っている。
新宿で会った時、わたしは彼に
あなたにとって、あの海はどんな場所なの?なぜ、あの時声をかけてきたの?」と聞いた。
彼は困った顔をしながらも、考えながらゆっくり話してくれた。
「どんな場所・・・なんでかと言われると・・・。
声をかけたのは・・・波打ち際で写真撮ってたでしょ。
話しかける前に、ブログにも載せた後ろ姿の写真を撮ったんだよね。
何か素敵な絵になってたから。
普段、見ず知らずの人に声をかけるなんてしないけど、頑張ってみた。
名刺渡したのは、ブログに載せてもし見てくれたら驚くかなと思ってさ。
地元の人といつかは話をしてみたかったのもあったし、
あと、ゴン太が可愛いかったからかな」
彼は、ゴン太のことになると顔が緩む。
うちの母も同じように、ゴン太の前では家族にも見せることのない笑顔になる。
動物好きの人は皆そんなものだ。まぁ、わたしもその一人なのだけど。
そして、少しお酒に酔ってきたころ、私が一番聞いてみたかった「どんな場所」という
問いかけにも答えてくれた。
「・・・・・・」
「大好きな人がいてね。長いこと引きずってた。
夏と海が大好きな娘でね。
今は、海の綺麗な小さな島で暮らしてる。
俺も一度行ったんだけど、本当に綺麗だった。イルカと泳いだり出来て。
一番苦しかった頃はテレビで海の映像をみるだけで悲しかった。
もう海なんて絶対行かないって思うほどだったよ。
でもどうにもならないってのもわかってたし、このままじゃいけないって思った時に
ふと、海に行こうと思って、すぐに電車に乗って鎌倉まで行ったんだ。
江の電には初めて乗って、なんとなく稲村ケ崎駅で降りて、ふらふら歩きながら海に出たんだ。
天気のいい日でね、空と海、海に浮かぶサーファー、江ノ島と富士山、犬の散歩して人、
綺麗な夕日を見てたら、気持ちが楽になったといか落ち着いた。
冷静にその娘のことも自分のことも冷静に考えることが出来たんだよ。
何か変えたい時とか、変わる時ってあるじゃん。
出会いだったり、友達からの言葉とか、自分の閃きとか。きっかけはいろいろだろうけど。
その時の自分にとっては、あの海に行ったことだったんだと思う。
好きな場所でもあるし、自分にとって大切な場所。かな。
俺みたいな人は他にもいると思うよ。
人それぞれだろうけど、海と夕焼けを見て、好きな人や、家族、友達のことを想ったり、
自分と向き合ったり、単純に綺麗だなぁとかこの場所いいなぁとか。
あの場所に住んでると、日常過ぎて解らないかもしれないけどね。
始めは少し気の重そうだった彼の表情も、話終わったころには笑顔になっていた。
今思えば、お酒が入っていなかったら、彼はこの話はしなかっただろうなと思う。
確かに、わたしにとっては日常な場所で、海も夕日もそこにやってくる人達も決して特別なことではない。
もちろんわたしにとっても大切で好きな場所だけど、身近であればあるほど、
気が付かないことだったり、見逃してしまっていることがあるのかもしれない。
嬉しかったのは、わたしの生まれ育った大切な場所が、
彼のように、あの海にやってくる人達にとっても大切な場所だということを知れたことだった。
いつか、わたしも遠い何処かに出向くほど好きな場所ができるかもしれない。
そして、湘南の海が一望出来る住み慣れた家を出る時がくるだろう。
その時がきたら、あの場所を恋しく、もっと好きになるのだろうと思った。
あと10分くらいで太陽が沈むだろうという頃、彼はいつものように立ち上がり外へ出た。
「ゴンちゃん元気だったか〜」と少しじゃれた後、
防波堤に座り込んで太陽が沈んでいくのを見届ける。
初めて彼とここで待ち合わせをした時から、お約束の流れだ。
「この10分くらいが一番綺麗だよな。ここが特等席だよ。」と言っていたのを憶えている。
確かに、太陽が沈むまでの10分が一番綺麗に空を染める。
空の青と夕焼けのオレンジ色が混ざり合い、クライマックスを演出するかのように空の表情が変わる。
それと同時に富士山の表情もくっきり映し出される。
防波堤の高さは5mくらいあって、脚を投げ出すと落ちてしまいそうで少し怖く感じるが、
さえぎる物もなく、この景色を独り占めしているかのように思えるくらいだ。
彼とここで夕日を見ることになるまでは、この場所でゆっくり夕日を見たことはなかった。
この特等席は私にとっても、お気に入りの場所になって、たまに独りでのんびり夕日を眺めることがある。
わたしは彼が海へやってくる時に何故わたしに連絡をよこすのだろうと不思議に思っていた頃があった。
独りで静かに海と夕焼けを見たいのであれば、わたしは居ない方がいいのではないのかと。
もしくは、ゴン太に会いたいだけなのか。
一緒に夕焼けを眺めるようになって何度目だっただろうか
特等席で「おまえはこの景色と同じだな」と独り言のように呟いた時があった。
その時は、まったく意味が解らず、聞き流した。
愛の告白でもなく、特別に大きな意味がある訳でもなく
きっと「おまえには気を使わなくて楽だ」とでも言いたかっただろう。
わたしは「ねぇねぇどういう意味?」なんて聞こうと思わないし、彼も答えはしないだろう。
それが丁度良いわたしと彼とのバランスなのだ。
ただ、最近わたしは、彼のその言葉というか気持ちが少しわかるような気がする。
きっと、わたしが彼に抱く気持ちと同じなのだろうと。
周りに居る人達は携帯やデジカメで写真を撮っている。
自慢の愛車を見せびらかしたいのか、夕日をバックにスポーツカーを撮る人や、
高そうなカメラを覗くおじさん、犬の散歩をしている奥様方、恋人、家族、いろいろな人達がいる。
彼もいつものように2・3枚デジカメで写真を撮る。
太陽の落ちる速度というのは意外に早いもので、沈む直前の30秒はあっという間だ。
江ノ島辺りへ沈んでいき、最後はスッと消えてしまう。
ほぼ毎日、愛犬と共に日没を見ているけれど、「今日も一日が終わるんだなぁ」と
実感させる瞬間は他にはないように思える。
太陽が沈むのを見届けると、彼は煙草を一本吸う。
そして、「じゃあ、行くわ。ゴンちゃんバイバイ」と言って砂浜へと続く階段を降りていく。
「またね」と言うのはわたしの役目になっている。いつもと同じ別れの挨拶だ。
周りにいた人達のように「今日の夕日は綺麗だったね」なんて感想を言い合うことはない。
彼にとって、晴天だろうが曇りだろうが、この場所に来て少しの時間を過ごすという
ことがきっと重要なのだろう。
だから、彼は太陽が沈むのを見届けると、重要な任務を遂行したかのような面持ちで
一言の別れ言葉だけを置いて去っていく。
彼はひとつ先の鎌倉高校前駅まで砂浜を歩いていく。
わたしは、国道134号を渡り家路に付く。
今日で、彼と一緒に夕焼けを見たのが7回目。
急なメールに始まり、彼の勝手な都合に巻き込まれている気もしなくもないが、
わたしは、静かに夕日を眺める彼の隣にいることに居心地の良さを感じるし、
きっと、彼も同じように思ってくれているからこそ、わたしに連絡をよこすのだろう。
普段は連絡を取り合うこともなく、彼がこの海にやってくる時だけの
「一緒に夕焼けを見る」という不思議な関係。
それが、わたしと彼とのバランス良い距離間であり繋がりなのだ。
いつか彼がこの海へ来なくなる時がくるかもしれない。
「今日いつものところで」のメールが送られてくることもなくなり、
わたしは、いつものようにゴン太を連れて海辺を散歩し続けて、たまにあの特等席で夕日を眺めるだろう。
もしくは、私がこの場所を離れるときがくるかもしれない。
彼は二ヶ月ごとに、変わらずたった一行のメールを送ってくのだけど、
わたしはいないわけで、それでも彼はいつものように特等席で夕日を眺める。
「今日いつものところで」というメールが送られてくるごとに、
彼が海に着たのだということをわたしに知らせ続けてくれるだろう。
わたしは、彼と別れた後にいつもそんなことを思う。
彼がいつもこの海に来て、ぼやくことがある。
綺麗に丸まったガラス石が見つからないというのだ。
「たまに見つけるよ。でも、ここは砂浜だしね、少ないかも。他の海に取り行けばいいじゃん」
と言うのだが、彼は「この海で綺麗なガラス石を拾いたいんだよ。
自分で見つけて拾わないと意味がないの」と変なこだわりを見せる。
そして、わたしは「いつか見つかればいいね〜」と軽くあしらう。
彼のその話を聞いてから、わたしは散歩中にガラス石を探すようになった。
小さい頃からこの浜辺で遊んでいるから、家には昔拾ったガラス石もあるのだが、
あげると言っても彼は素直に受け取らないだろう。
それをわかっているから、わたしは綺麗なガラス石を見つけた時は拾わずに、写真に撮っている。
これからも彼がこの海にやってきた時には、「また見つけられなかったよ」とぼやくだろうから、
もう少し写真の枚数がたまったら、波打ち際の写真も一緒にアルバムにまとめて
「これで我慢しな」と言って手渡そうと企んでいるのだ。
いつまでこの不思議な関係が続くかはわからないけれど、その計画が実行されるまでは
彼にこの海へ来続けて欲しいとささやかに願っている。
彼が海に来た日のブログには、いつも同じアングルから撮られた夕焼けの写真が載っている。
特等席から撮った、その日のベストショットだ。
今日もまた、とても綺麗だった夕焼けの写真がアップされるだろう。

「見上げる少年の瞳に映る彼」