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体調も戻りやっとひと息。
社会人の暗黙の掟。体調管理。
連日、300人以上の老若男女が出入りする職場。
声を張り上げる仕事。慣れたとはいえ喉の弱い自分には重労働。
菌に侵されないよう、必要以上にうがいを繰り返す。
週5日、1日1時間。本気で向き合うのは小学生。
少し前までは、何でついてきてくれないんだと苛立ってばかりだったけど
最近は彼らの日々努力する姿に感動している。
終わりがいつになるかわからないが、その時までに自分の持っているものを
欲を言えばすべて伝えて、彼らそれぞれのカタチへと成熟させたい。
ちっぽけな自分が「未来を担う子供達のためにできること」と本気で思っている。
彼らの為だけに毎日仕事へ向かう。
高校を卒業してから長野に戻るまでの13年間は、食事も掃除も
生活していく中で必要なことをひとりでやってきた。
当たり前のことを当たり前に。
長野に戻って生活は一遍した。
この1年半、食事をつくったことは一度もないし、洗濯も数えるほど。
仕事から帰ってくると夕飯はすぐ食べれるし、洗濯もしてもらえる。
一般社会人の半分以下の休日という仕事を選んでしまっただけに、
週一の休みも外に出てしまえば、家のことに手をつける時間もなくなる。
今まで当たり前にやっていたことが、やらないのが当たり前になってしまった。
長野に戻ってきたこと。実家で暮らすこと。
お金が掛からないから?親のため?
日々感謝はしている。
ただ、自分という人間として欠けている。日々強くなる思い。
「楽しいこと」というのは物事によるけれど、人それぞれ。
例えば、何かをつくることでの「楽しい」は
自分が楽しいなんてことは、当たり前すぎることで
人に見て感じてもらって、喜んでもらえたりすることが
つくることの目的であり「楽しい」なのだと思う。
過程の苦労があるからこそ、楽しく嬉しいはずだ。
「楽しい」からといって何でもかんでも取り入れるというのは自分には合わない。
「楽しいから」の結果が、自分だけで周りに思ってもらえないようだとしたら
それはつくることでの「楽しい」として本質に辿り着いていないような気がする。
「楽しい」を見抜かなければ、何をその時にやるべきかも見出せない。
適切な量と質というのがあって、そこにこそセンスや世界観が出てくるように思える。
日々と経験で思考は変化する。
長野に戻ってきてからの「カタチにする」ことの思考は揺るがないものだと確信を持てる。
個人的思考。
何にせよ時間のかかる性分だ。
追い込む必要はなくても、リミットというものをつくる必要。
この半年、思考して手を動かし確実にカタチにしよう。